ドミニカ共和国と日本の意外な関係って・・・
ドミニカ共和国と、日本の意外な関係・・・
ドミニカ共和国に興味を持ち始めてからこの2つの国に意外な歴史があったことを知る。お恥ずかしながらこのことについてはまったく知らなかった私でありました。
日本人の血が1/4入っているドミニカ人、つまり、おじいさんが日本人だという人物にであう。ドミニカに行ったとき、この人の母親に(彼女の両親はイタリアからの移民、ということでイタリアンドミニカン)
「私の昔の夫はドミニカンジャパニーズだったのよ。 彼のお父さんは、昔日本からドンブラコ・ドンブラコって1ヶ月もかけてこのドミニカの地に船でやってきたの・・・」
とチラリと話をきいた。 わたしは、なぜ・・・・? どうしてこのドミニカに???ととても疑問に思った。
ブラジルや、南米への移民は有名で知っていたが、ドミニカのことはしらなかった。
戦後の1950年代に、日本政府の移民政策で、南米に日本人を送りだしたときに、ドミニカ共和国にも、1300人以上の日本人が送られたという。
「カリブの楽園」という甘い言葉で誘惑し、戦後、職を求めていた国民たちをこの島に送り出したらしい。
暖かいドミニカ共和国で農業などの仕事をしてがんばっていこうと期待に胸を膨らませてこの島に着いた人たちは、与えられた地のずさんさにおどろいた。 与えられた地というのが、石ころばかりの荒地で、畑を造るなどなどとうてい難しい土地であった。
また、ハイチとの国境で、ハイチからの進入者への防御対策のためにも日本人を国境においたんだって・・・。
日本人は荒地を転々とまわり、そのなかでも、つらさに耐えられず自らの命を絶たれた方までいたそう。
日本に帰りたくてもかえれない・・・故郷をおもいながら辛い思いをしてなくなった人たち・・・ せつない・・・
その後、8割以上の方々が南米へ移り住んだり帰国したりして、ドミニカを去ったが、250人以上がこの島に残った。
悲しい出来だ・・・。なんと言っていいものかわからない。
とにかく日本政府はこの方たちにきちんと謝罪し、今できることで、責任を取るべきではないかと私は思う。
こんなきれいな海と、青い空に囲まれた美しい島で、遠い遠い日本から期待に胸を膨らませてきた日本人の方々は、この島でとても辛い思いをされたんですね・・・
複雑な思いです。
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