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父のいきたかった所へ

  母の疲れは、最高のところまできていたが、今度は、葬式の段取りだ・・・。

 母は、体と、精神的な疲れと戦いながら、事務的作業をこなさなくてはならなかった。 友引が重なったと言うこともあり、葬式は7月13日に行った。

 たくさんの人たちが最期に父の顔をみにきてくださった。

 わたしはまだ、父が死んでしまったということが受け入れられていなかった。葬式中、不思議な感じがして、誰かまったく知らない人の葬式にいる気分でいたり、突然父の死を認識し、おいおい泣いたり、そうかと思えばまた他人事のような感覚でボーッとしたりと・・・

 火葬された父を見たときは、「父が燃えた」 という気持ちはしなかった。「あれはもう父ではない」 とおもった。 となりで母は、骨になった父を見て、泣き出した。

 「お母さん、あれはもうお父さんじゃないよ、お父さんと思ったらだめいね。」 というと 

 「うん、そうよね・・・」 と悲しそうにいっていた。

 あれは父であって、父ではなかった。

 父は、まだ元気な頃、友人に「わしがもし死んだら、骨を宮島に撒いてくれんかね。」といっていたらしい。

 わたしと、父の友人と、なっちゃんは、骨をほんの少しのかけら、持ち帰った。

 父は、競艇ファンで、宮島競艇場がだいすきだった。やっさんこと、横山 やすしさんも、宮島競艇が好きで宮島に散骨されたときいたことがある。 今頃、父は宮島でやっさんと好きだった酒でも交わしながらのんびりやっていることをねがう。

 わたしは、父の骨のかけらを、父が今年、2009年に来る予定を立てていた、New Yorkへもちかえってきた。

 数年前にNew Yorkへ来て、New Yorkがかなりきにいっていた。

 「来年は、孫の顔を見に、New Yorkへいくんじゃ~」 とまわりのみんなにはなしていたらしい。逢う人逢う人に父がそういっていたことを知らされた。

 なかなかスポットが決まらないが、もう少ししてあたたかくなったら、ひとかけら 「自由の女神」 のみえる所にでも連れて行ってあげようと思う。

 2009_011 Brooklyn Bridgeを歩くわたしたち親子のうしろすがた。両親がNew Yorkに尋ねてきたとき

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